昭和女子大学オープンカレッジ Woman'sキャリアサロン


ダイバーシティ

女性のチャンスが広がる中、求められる女性像とは?

ダイバーシティ(多様性の受容の意)とは、年齢や性別、国籍、身体的違いや価値観によらず、個々が持つ多様な力を発揮できる、組織のあり方、マネジメント。今、企業は女性の活用を重要な人材戦略の一つと位置づけている。

女性のチャンスが広がる中、求められる女性像、人材像とは?今回は、ダイバーシティ研究が専門で、男女共同参画局初代局長も務められ、昭和女子大学副学長でもある坂東眞理子先生にお話を聞いた。

女性が自分に自信を持ち、可能性にチャレンジする社会へ

坂東先生は、 1975年(昭和50年)国連国際婦人年を契機に、婦人問題企画推進本部において、行動計画策定に携わり、その後、ハーバード大学客員研究員として渡米。そこで、北アメリカの女性達が、企業や団体のトップを目指すす意欲的な姿に刺激を受けた。

「日本の女性も、もっと自分に自信を持ち、自分達の可能性にチャレンジしていく姿勢が必要だ」と痛感し、帰国。「単なる女性の地位向上ではなく、男性と一緒に新しい家庭、職場、社会を創っていく男女共同参画社会の実現をすることが必要。そのためには、男女ともに個性と能力を発揮できる社会を創っていかなくてはならないし、女性自身もっと自分に投資して、自己開発をしていく必要がある



水津 まず、少し先生ご自身のキャリアについてお聞きしてもよろしいですか。
坂東 私は、戦後すぐ、富山で生まれました。女性ばかりの四人姉妹の末っ子で、かわいがられましたね。 学校は、小中高学校と全て地元の公立校で、そこから東京大学の文学部へ進学しました。
水津 富山時代から、今のようなキャリア、生き方を目指しておられたのですか。
坂東

いえ、大学に行くときは、文学や歴史が好きだから、文学部にでも行こうかというかんじでした。それで、卒業間近になって、就職をしようと思ったら、文学部では仕事ができないということがわかった。

その頃、大学卒業後の女性の選択肢というのは、研究者として大学に残るか、学校の先生になるか、公務員になるか、この三つくらいでした。それで、教えるのが好きではなかったので、公務員になった(笑)

でも、最初から公務員になるつもりだったら、法学部に行ってた。完全な情報不足でした。 その後、総理府に入省するんですが、当時は、試験に通っても、女性はなかなか採用してもらえない時代でした。私の後は、8年間女性の採用はなかった。その後も4年後に一人、その後8年に一人という感じ。

それは総理府だけではなくて、文部省も、その他の省庁も同じでした。40年代の女性の公務員は本当に少なくて、もうみんな顔を知っている、そんな時代でした。

自給800円のパートか、ぼろぼろの正社員か、の二択ではない
自分の可能性を広げる生き方へチャレンジ

水津 国の目標として、2020年までに、あらゆる分野の指導的地位の30%を女性にするというものがありました。この目標を達成するには、先生は何が必要と考えておられますか。
坂東

女性の守備範囲を広げるということですね。実は、その2020年30%というのは、それだけではなくて、上へのチャレンジ、横へのチャレンジ、再チャレンジという三つのチャレンジがセットになっています。


上へのチャレンジというのは、管理職30%、指導的立場の30%を目指そうというのはものです。

横へのチャレンジというのは、これまでは、これは男性向け、これは女性向けと思い込んでいる分も多かったのですが、そうではなくて、もっと自分の適性が生きる分野を見つけて進出していきましょうというもの。 特に理科系は、女性は苦手意識があって、とても少ないんだけど、これからは、もっとそういった分野にも女性が進んでいくべきではないかと思います。そういう横へのチャレンジ。

そして、再チャレンジ。子育て後の再就職など、女性の社会復帰への再チャレンジ。

人生85年ロングスパンをどう生きるのか
自分に投資し、自己開発する時代 
坂東

少子高齢社会ということはよく言われますが、女性の平均寿命が85.4歳にまでなっていきている中で、結婚や出産、子育てもとても重要なんですが、85年の人生のうちですと、まあ10年足らず、一割ぐらいです。

もちろん、50歳になっても、子どもは子どもという考え方はありますが、集中的に親が子どもの面倒を見なくてはいけない時期は相対的に短くなってきています。 その後、親自身がどう成長していくのか、新しい分野を持つのか、それはとても重要になってきていると思います。

私たちの世代は、人材を養成するのは企業の責任という時代。企業がイニシャチブをとったキャリア養成、キャリアコース、キャリア開発だった。残念ながら、当時は将来の幹部候補生として育てる対象に女性はなっていなかった。女性はすぐにやめてしまうから、とほっておかれた。

でも、これからは、男性も最後まで面倒をみてくれる、育ててくれるという企業はゼロではないけど、とても少なくなって、女性も男性もこれからは自分で自分を育てていかなくてはならない。

男性は企業にお任せして、女性は家庭を優先して、人生を自分で考えなくてもすんだ。考えてもそれが実現できるわけではないから、諦めていたわけですけど、キャリアも、人生も自分で開発しなくてはならない時代になってきています。

そして、自分で自分のキャリアと人生を開発していくとなると、自分がどういう人生を歩みたいのかということを考えて、投資することが必要になってきます

残念ながら、これまで女性は、自分のために投資するということに慣れていないのですが、これからは、自分に投資して、自分を成長させるということは、85年の人生ではとても重要なことになってきます。

 
出産や子育てに入った人は、手ぶらで再就職をすると買い叩かれる。ですから、もう一度自分のレベルアップを図ってから、再就職をする、再チャレンジをする。


水津 そういう意味では、出産や子育ては、一度敷かれたレールから降りて、自分のキャリアや人生をもう一度真剣に見つめ直す貴重な時間、チャンスともとらえられますね。
 

女性の人生は平均85年をどう生きるのか

ロングスパンで考えなくてはいけない時代に入ってきた

坂東

また、今後は、単にそれがキャリア、食べていくため、仕事するために役立つかということだけでなく、女性は85年、男性は78年ある人生を、60歳の定年以降の20年以上にわたる人生をどう生きるのかという生きがいも考える必要があるでしょう。

水津 ありがとうございました。
   
   
 

参考サイト 
もっと詳しく「三つのチャレンジ」 

内閣府男女共同参画局
チャレンジサイト
ポジティブアクション

21世紀職業財団「働く女性の能力発揮の促進」

Profile
写真:坂東眞理子
坂東眞理子
昭和女子大学副学長

富山県出身。東京大学文学部卒業後、1969(昭和44)年に東京総理府に入り、以後、青少年から婦人、老人対策に携わり、ハーバード大学客員研究員として渡米。帰国後、1993年から95年にかけて、婦人問題担当室を男女共同参画室にする仕事を室長として担当。男女共同参画室が局に格上げとなった2001年には、初代の局長を務めた。以降、埼玉県副知事、オーストラリアでブリスベン総領事などを歴任。

詳細プロフィールはこちら

著書
処女作『女性は挑戦する』以降、女性の地位向上を、差別などの悲観的な視点ではなく、そこには常に、女性が自らの特質を生かし、新しい分野へ進出していこうと呼びかける提案がある。
近著は、『男女共同参画社会へ』(頸草書房)『この国のしくみ 組織とその仕事』(国立印刷局)『副知事日記』(大蔵省印刷局)『ゆとりの国オーストラリア』(大蔵省印刷局)など。 

聞き手 水津陽子

WCS企画コーディネーター

合同会社フォーティR&C代表、地域、人、産業の再生と創造を支援するコンサルタントとして活躍中。

ライフワークとして、LIfe生きること、Work働くこと、Community絆をテーマに活動するNPOで理事長として活動している。


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